十数年前に書いた次の記事があります。
- 圏、関手、モナドはどうしたら分かるの? (2007年3月)
上記過去記事のなかに「いろいろな圏におけるモノイド概念」の表があります。
環境となる圏 | その圏の積 | その圏の単位 | モノイド概念 |
---|---|---|---|
集合圏 | 直積 | 単元集合 | 普通のモノイド |
ベクトル空間の圏 | テンソル積 | スカラー体 | 代数(多元環) |
頂点集合がXである反射的グラフの圏 | バンドル積(ファイバー積) | 反射的離散グラフ | Xを対象集合とする圏 |
圏Cの自己関手と自然変換の圏 | 関手の結合 | Cの恒等関手 | C上のモナド |
(小さい)圏の圏 | 圏の直積 | 単一対象とidだけの圏 | (小さい)厳密モノイド圏 |
上から3番めの「環境となる圏」に「頂点集合がXである反射的グラフの圏」とありますが、反射的の条件は無くてもかまなない、いやむしろ、無いほうが面白いことに気付きました。つまり、次のようなモノイド概念〈モノイド対象〉があるわけです。
環境となる圏 | その圏の積 | その圏の単位 | モノイド概念 |
---|---|---|---|
頂点集合がXであるグラフの圏 | バンドル積(ファイバー積) | 反射的離散グラフ | Xを対象集合とする圏 |
頂点集合がXであるグラフの圏にモノイド構造を入れて、そのモノイド圏内のモノイドが“Xを対象集合とする圏”になるのです。このことをこの記事で説明します。だいぶ時を隔てた敷衍です*1。
内容:
頂点集合を固定したグラフの圏
集合 を選んで固定します。 を頂点集合とするグラフ(ここでのグラフは有向グラフ)の圏 を定義しましょう。グラフを とします。頂点集合 もグラフの構成素なのですが、固定しているのでイチイチ書くのはやめます。
- 辺の集合:
- 辺の始点: (src = source)
- 辺の終点: (trg = target)
が、 を頂点集合とする2つのグラフのとき、そのあいだの準同型写像〈homomorphism〉は次の図式を可換にする写像 です。
等式で書けば:
] と書いたら次の意味になります。
- である*2。
- を満たす。
- を満たす。
を頂点集合とするグラフを対象として、そのあいだの準同型写像を射とする圏を定義するのは容易です(やってみてください)。その圏を ] とします。
両端を固定した辺の集合と、準同型写像の制限を(圏と同じ記法で)定義しておくと便利です(この記事内で使う機会がなかったのですが)。
は、域と余域を部分集合に制限した写像です。
グラフの圏のなかの特別な対象
圏 ] のなかの特別な対象を3つ定義しましょう。
最初は辺をまったく持たないグラフです。
ここで、 は空集合から集合 への唯一の写像です。
次は、頂点ごとの自己ループ辺だけを持つグラフ。
三番目は、任意の2頂点を結ぶ辺が必ず一本だけある完全有向グラフです。
ここで、 は直積の第一射影、第二射影です。
さらに、任意の集合 に対してグラフ を定義しましょう。
この定義を使うと、先に定義した は次のように書けます。先の定義と同じ、または同型なグラフが得られます。
グラフ は圏 の始対象になります。しかし、 は終対象ではありません。 が終対象になります。この事実の確認も容易ですからやってみてください。
セクションと反射的グラフ
が の対象として、次の性質を持つ写像 を のセクション〈section〉と呼びます。
は、 のセクションでもあり のセクションでもあるので、「双セクション」とでも呼んだほうがいいでしょうが、単に「セクション」で済ませます。
セクションは、頂点に自己ループ辺を対応させる写像になっています。セクションを持たないグラフもあります。例えば、 は( が空でないなら)セクションを持ちません。 は唯一つのセクションを持ちます。 は( が空でないなら)たくさんのセクションを持ちます。
グラフにセクションを添えた構造 を反射的グラフといいます。各頂点ごとに特定された自己ループ辺がくっついているグラフですね。「反射的」の語源は、グラフの辺を頂点のあいだの“関係”とみたときに反射的関係になるからですが、語源に拘ると誤解の原因になります。
のケースを考えると、 の対象(グラフ)は単なる集合と同一視可能で、反射的グラフは付点集合〈pointed set〉に相当します。
圏から結合〈合成〉だけを忘れても、恒等射は残ります。恒等射 はグラフのセクションなので、忘却後の構造は反射的グラフとみなせます。したがって、圏の下部構造は反射的グラフと考えることもできますが、今は、さらに恒等射のセクションも忘れてグラフを議論しています。
辺をまったく持たないグラフ、つまり を離散グラフと呼びます。この用法をそのまま踏襲すると、反射的離散グラフは( が空でないなら)存在しません。次のように語義を再解釈します。
- 反射的であり、辺が最小であるグラフを反射的離散グラフ〈reflexive discrete graph〉と呼ぶ。
結局、反射的離散グラフは のことになります。
次の事実はしばしば使われます。意識しておいてください。
- グラフ のセクションと、 というグラフ準同型写像は、1:1に対応する。
グラフの圏のモノイド構造
圏 にモノイド構造を定義しましょう。以下、演算 について記述します。
まずは、2つの対象〈グラフ〉に対する の定義です。
辺のペア で“繋げる”ペアを新たに辺だと思ったグラフが です。
次に、2つの射に対する の定義です。以下で、 は定義すべき射のプロファイル(域と余域)の宣言です。 は定義の正当性条件で、well-defined になるために必要な命題達です。
正当性条件は容易に示せるので、写像 は well-defined です。
これで、同じ記号で表される2つの写像が定義できました。
これらが双関手〈二項関手〉となるためにはさらに次の条件を満たす必要があります。以下に出てくる は、グラフの準同型写像の域/余域のことです。
これらも、定義に基づいた具体的な表示で確認すれば容易に示せます。例えば、最後の等式(交替律)の両辺を に対して計算すると になります。
モノイド圏の定義には、以下のような構造同型射の族とそれに関するマックレーンの五角形/三角形法則も必要です。
が成立するので、集合圏の直積に関する をそのまま流用して圏 の構造同型射の族を定義できます。マックレーンの五角形/三角形法則も、集合圏のそれから導くことができます。
以上から、 がモノイド圏になることが分かりました。
モノイドの定義
通常のモノイド、つまり集合圏内のモノイド対象について復習しましょう。モノイド を、 と書きます。それぞれの構成素は:
- 台集合:
- 二項演算:
- 単位元:
モノイドの(二項演算と単位元に関する)結合律、左単位律、右単位律を可換図式で記述しましょう。以下、 は“モノイド圏としての集合圏”の構造同型射です。
以上の可換図式は、すべて集合圏のなかで考えましたが、集合圏以外のモノイド圏でも同じ図式を考えることができます。つまり、任意のモノイド圏のなかでモノイド対象を定義可能なわけです。「モノイド対象を定義する環境となるモノイド圏を変えれば、色々なモノイド概念が得られるよ」ということが冒頭で引用した「いろいろな圏におけるモノイド概念」の表の内容です。
グラフのモノイド圏内のモノイド
モノイド圏としての 内のモノイドを考えましょう。モノイド を、 と書きます。集合圏の場合と同じです。
ここで注意すべきは、 が 内のモノイドなので、 はモノイドの台、つまり の対象であるグラフであることです。 をさらに構成素に分解すると次のように書けます。
次のような二段階の忘却関手があります。(より詳しいことは「構造付き圏の定義と記述 // 忘却関手と忘却階層グラフ」参照)。以下で、 は 内のモノイドの圏です。
モノイドの法則〈公理〉となる可換図式は以下のとおり。前節の可換図式の文字と記号を置換しただけですけどね。
それって圏でしょ
集合圏 内のモノイドとモノイド準同型写像の全体は圏をなしますが、それを と書くわけです。グラフの圏 内のモノイドとモノイド準同型写像の全体も同様に圏をなし、それを と書きましょう。
前節では、 の対象を と書きましたが、文字や記号の書き換えをします。もちろん、書き換えても意味は何も変わりません。気分が変わるだけです。
- (フォントを変えています)
すると、 の対象は次のように書けます。
モノイドとグラフの記法を、圏論の標準的な記法に置き換えました。外の圏である や と同じ記法になるので混乱しないように注意してください。
定義を再確認してみると、 の対象は、対象集合が である小さい圏になります。射は、対象集合上では恒等である関手になります。次のように書いてもいいでしょう*3。
以上で、以下の表の一行の意味が説明できました。
環境となる圏 | その圏の積 | その圏の単位 | モノイド概念 |
---|---|---|---|
頂点集合がXであるグラフの圏 | バンドル積(ファイバー積) | 反射的離散グラフ | Xを対象集合とする圏 |